November 01, 2006

未履修問題の根底にあるもの

高校の未履修問題について、少し整理してみようと思う。
先回書いた日記では、どうも自分的に消化不良の部分があるので。


昨日のニュースで未履修問題を取り上げていた。
マスコミのカメラが該当高校生に向けられ、意見を求められる。
てっきり「今から勉強するのは、受験に差し支える」
という返答が帰ってくるものだと思っていた。
ところがその生徒は、
「学んだことは自分のためになるので、しっかり補習を受けようと思います」と、
答えたのだ。
軽い驚きと、自分のもやもやを埋めてくれる答えが、そこにあった。


今回の未履修問題において、ぼやけがちにされそうな大事な本質。
今問題になっているのは、受験まであとわずかな時期に来ていて、
時間がそもそも限られている中で、生徒に負担を強いるということだと思う。
確かにそれは、大きな問題だ。
そして、そこに生徒側に落ち度がないということもあり、
補習を受けない生徒が被害者だという論調がほとんどだと思う。
でも、補習を受けなければならない生徒たちが本当に「不幸」なのか?
という観点でものを見たときに、それが不幸だと断言できない自分がいる。

以前、ゆとり教育の更にもっと前、詰め込み教育だと言われていた頃、
高校では今では考えられないくらいの科目数を履修していた。
弾力性はあったものの、現代国語、古典、漢文、数学Ⅰ、数学ⅡA、
数学ⅡB、数学Ⅲ、生物Ⅰ・Ⅱ、化学Ⅰ・Ⅱ、物理Ⅰ・Ⅱ、地学Ⅰ・Ⅱ、
世界史、日本史、政治経済、倫理社会、地理、リーダー、グラマー、
コンポジション、etc...
文型理系クラスで、Ⅰのみ履修だったりするケースはあったが、
主要5科目だけでも、これだけの科目を全部こなしていたはずだ。
科目数だけではなく、その内容も今と比べると高レベルだ。

そして今大学で何が起きてるのかというと、
高校時代にほとんど、あるいは全く手をつけなかった科目が
大学の教養科目に半必修で置かれ、
大学に入学するところまではいいけれども、基礎知識がほとんどないため、
授業についていけない学生が多数存在しているという事実がある。
高校教育までは指導要領で縛られる。
でも、大学は今むしろ設置基準の大綱化を経て、自由度が増している。
一番の問題点はそこに連動性がほとんどないことだ。

大学の大衆化が叫ばれて久しい。
昔のエリート教育の場から、今は全入の時代に突入している。
当然、その役割も変わってこなければならない。
でも、いまだ象牙の塔的な考え方を持ってる大学人は多い。
(ただしこれが間違ってるという断定も、私にはできない)
この辺の意識や感覚のズレが、そのままカリキュラムに反映してる。

教育とはとても大切なものだと思う。
その国の根幹をなす重要なミッションであるはずだ。
かつての日本、またはかの国を見たときに、
教育によって蓄積されたものの影響力の大きさを知る。
要は、そのやり方しだいで、国の行く末やあり方はどうとでもなるのだ。

振り返って、未履修問題に話を戻したとき、
巷の報道等は目先の物理的時間の足りなさから発生している事象に
かなりのウェイトを置いているように見受けられる。
しかし、問題の本質の部分を置き忘れた議論は、
最終的には不毛なものに終わることは想像に難くない。
この国の教育のシステムやあり方、それをどうするのか。
そのことを根本的に見直さなければ、
今回の出来事は何の意味も持たなくなる。

補習を受けなければならない生徒たちが、本当に不幸なのか。
知識の習得ということを考えたときに、目先の利益だけではなく考えたい。
学ぶ権利を持ってるはずなのに、それを行使せず卒業した生徒の方が、
この先のことを考えると、もしかしたら不幸なのかもしれない。


かつて大学が本当にエリート教育の場だった頃、
そこで学んだものたちの知識量や能力は、
今の比ではない高いレベルにある。
明治の文豪、夏目漱石は、全ての学問を外国語で学んでいる。
地理も歴史も数学も例外なく全て。
だから、この時代に最高学府を卒業した過去の偉人の英語力は、
本当に半端なものではなく、
いわゆるネイティブをもうならせるものだったと聞く。
確かに文法重視ではあるが、
学問としてとらえた場合、文法解釈は必要不可欠だ。
そして、漱石は文豪として数々の優れた著作物を「日本語」で残した。
膨大な知識の中から厳選されたからこそ、成し得られた綴れ織りだと思う。


わが国が、何をよりどころに、どこにベースを置くのか。
今時代は、大きな転換点を迎えているように思う。
「学ぶ」ということの本質にたちかえって、それが何であるかということを
「考えること」を放棄してはならない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

October 30, 2006

文科省は責任取りなさい

(久々に更新)


高校の履修単位不足問題
この件に関しては、学んでいる生徒たちには罪はないと思うし、
学校側には、確かに問題はあるでしょう。

でも、最大に責任を負わなきゃならないのは国。
これは、明らかにゆとり教育の弊害の一部なんだから。
土曜日が休みになって、学校5日制。
指導要領で、内容は簡易になってるけど科目数の制限は残ったまま。
決められた数字をこなすために、現場には負担が強いられる。

こういう細部まで確認し、起こりうることをちゃんと検証しないで、
形ばっかり整えるからこういうことになる。

教育ってのは、その国の根幹をなす大事なところ。
それが、あまりにも蔑ろにされている、としか私には思えない。

あと、「いじめ」って言葉が独り歩きしてるけど、
これって今に始まったことではないでしょうに。
学校側に責任がないとは言わない。
教員として、教育者として、あまりにも適性のない人が多すぎ。

そういう現場を見てるから、それは良く分かる。
でも、だからって、子供たちが発信してる様々サインを、
学校側が全部負わなければならないというのは、違う。

競争?あって当たり前じゃん。
だってみんな違う人間なんだもん。
それぞれ足りないところを埋めようとして努力するときに、
成長ってあるんじゃないの?
教育現場が、それを放棄するからおかしなことになるんだよ。

そして一番の癌はマスコミ。
あんたたち、垂れ流しでトレンドみたいに重大事件を
毎日センセーショナルに流してるけど、意味分かってやってんの?
大衆はそういうものに引っ張られやすいんだよね。
頭の悪さの頂点にマスコミがいる。


で、今回に関しては、指導省庁の文科省は、
今までの経緯も踏まえて、きちんとした対応をとるべき。
学校側に全ての責任を負わせてはいけないし、
このまま生徒に負担を負わせるのは、
無責任集団と弾劾されてもおかしくないよ>文科省

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 27, 2006

上を目指すのは当たり前

ものすごく久しぶりに、ここ更新します。

もう8月も下旬。
北海道は結構前から秋風の香りが漂ってきました。
でも、今年は北国的にはまだ猛暑。
日差しが大変厳しくて、水分補給しないと大変な事になりそう。

そんな秋風が吹き始め、空の雲も秋の雲に様相を変えてきている今日この頃。
(長い前置きだなぁ)

J2リーグも、もう第3クールもあと少しで終わり。
というか、リーグ全体の3分の2が消化されました。
コンサドーレ札幌は、現在第8位。
昇格圏内の3位まで勝ち点差17、残り試合が15試合。
通常、勝ち点差>残り試合数となると、状況が厳しくなると言われてます。
っていうか、数字上どう見ても楽観要素はないわけですが。

であるわけで、じゃあこの先何を見つめていけばいいのということになるわけで。
人によって、様々な見方があるとは思います。
で、私は、とりあえず可能性が0になるまで、昇格を諦めることはしたくない。
でも、仮にそれが果たされなかったとしても、
だからそれで今季全てが終わりになるとは思いません。
消化試合になったとしても、消化試合にしてはならないと思うのです。

チーム全体にしても、選手個々にしても、サポーターにしても、
やらなければならないことは、何がしか必ずあるはずですよね?

確かに、地元にこのチームがあり続ける限り、そのカテゴリーがどうであれ、
応援する事を止める事はないでしょう。
J1であってもJ2であっても変わらない。
でも、だからと言って未来永劫、下部リーグに甘んじていてはいけないとも思います。
そこが、勝負の世界である限り、上を目指すのは当たり前な事。

今すぐそれが叶わなくても、
必ず上に行くというメンタリティを選手もサポーターも持ち続けなければ、
チームは強くなる事ができません。
今この位置にいて満足してしまう事は、歩みを止めてしまうこと。

諦めず、自分を信じて、自らに力をつける。
そんなことも、個々に験されるのではないのかな、と思っています。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 31, 2006

星栞の宣伝と自己分析

今日は占星術の話を。
こんな過疎ったブログには、ほとんど訪れる人はいないでしょうが、
石井ゆかりさん著の「星栞」という占星術書、是非ご一読を。
普通の占星術書は、技術的な説明書もしくは、
断定的な表現に満ちた指南書が多いのですが、
石井さんの書かれる文章は、全ての事象を包括してしまうパワーがあります。
これほど、示唆に満ちた本はあまりないと思われます。


さて、個人的な星占いの話。(電波な話^^;)
最近、「感じる」ということがすごく多い気がして。
何か大きな母集団の中から、直感的に何かを感じ取ること。
何でかなと、自分の出生データと経過データを見てみました。

元々私の金星と海王星はかなりタイトな合。
これが蠍座にあり、しかも第8室に位置しています。
そして乙女座の冥王星と60度、魚座の木星と120度。
いわゆる調停の座相を持っています。

天界の門とされる8室に、
イマジネーション豊かな金星と海王星の合があるだけで、
元々霊的な影響や感応力がかなり強い配置なのですが、
それに今は、経過図の木星が更に合となり、
2つの合わさったパワーを拡大膨張してる感じです。

太陽乙女座、月双子座、アセンダント水瓶座、水星天秤座。
本質的に支配されてる部分は、極めて感情を除したものなのですが、
愛情面では真逆にウェットで感性派です。

確かに、自覚できてる部分は結構あるかな。

人格の基盤を支配してる星の性質のため、
普段は理性が勝る事がほとんどなのですが、
私のホロスコープでは、金星と海王星の合を中心とした座相が、
自分の中では結構なウェイトを占めてるような気がします。
周囲の気に異常なくらい敏感なのは、このせいなのかもしれません。

あ、あと癒しのキローンと性質が似てる木星もタイトな合です。

前に見た、キング牧師の出生図と酷似した部分があるんですよね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 20, 2006

強いチームであるために

コンサドーレの件は、オフィシャルができたのでそっちにエントリー、とか思っていたのですが、
あっちは時間的に間違えるとずっとトップに上がりっぱなして…
読むだけ読んで、書かないって何かこそ泥チックなんですが、今回はこっちにひっそり書きます。

(別な所に書いてたことの改訂版。って大したことは何もかいてないですけども 汗)


宅配してもらってる報知。
昨日の紙面には、結構な面積を割いてコンサの記事がありました。
(ありがたや~w)
J'sゴールの監督コメント。
一昨日の夜は、字面だけだったのでいまいちニュアンスが分からなかった。
更に、TVとかで動いている画像を見ないと、本当の雰囲気は分からないけども。

ただ昨日の報知の記事。
「試合後の柳下監督は怒りに満ちていた」
やっぱりそうですか! ヽ(・∀・)ノ

(WEBは全文アップではないので、このくだりは載ってません)

一昨日の試合、あちこち巡回してみると、
まあ大体みんな思ってることは一緒、根本も一緒、表層的な評価も一緒かな。

その中で結構目立ってたのがベンチワークへの疑問でありました。
「何で、征也を入れて攻撃に行かないの?」
「枠が3人もあるのに、なんで代えないの?」

こんな感じの疑問。

ヤンツーさんは、多分きっとわざと選手交代をしなかったんだと「私は」思ってます。
やれてるだろう、できてるだろう。
だから、ここから先は自分たちで考えて答えを導き出しなさい、みたいな。
とっても高度な教育指導方法だと思いますよ、これって。
手を出し口を出しって、本当はじれったいからやりたくなります。
でも、それをやってしまうと自分から考えて動く人を作れない。
誰でも本当に相手のことを思ったとき、心を鬼にすることあるでしょう?

「俺はもう知らないから、お前達で勝手に責任を取れや、俺は知らん」
みたいな投げやりな思考では決してなく、試合においてすら選手の成長を思う。
自分のチームの選手たちを信用してなければ、逆にこんなことできませんって。

だから、一昨日の会見は怒りに満ち満ちていたんだと思います。
もっとやれたはずだから。
ああ納得、私的にますますすっきりいたしました。報知GJであります。
そしてやっぱりヤンツーさんは、立派な指導者(教育者)だと思いました。
時間がかかることを今やってる暇はないって、焦る気持ちも理解できなくはないですが、
でもね、J1行っても立派に戦えるチームを見たいでしょう?
それを今まさに作り上げようとしてると思います。
私はちゃんと間に合うって思ってますから。もっと強いチームになって上にあがる。
そのためには目の前で起こってることの表層ではなく、
何故そうなのか理解しようとする心が必要だと思います。
私達が色んなことを託して、支えようとしてるチーム。
信じてなんぼだと思いますよ。きっと結果で応えてくれるはず。

まあ、選手交代をしなかった理由は他にも何点かあると思いますがけども、
だいたい、若いうちは叩かれて、落ち込んで、反省して、それをばねにして、
自ら這い上がってなんぼですから。
それを積み重ねるうちに、人はいつの間にか成長してるもんですよ。

選手たちの気持ちも、柏戦に向けて引き締まったことでしょう。
ただ体はきついと思うから、それを私たちが一歩後押ししてあげないとね(^^)
一緒に闘う仲間ですから。

でチームには一個、指令。

次は絶対勝ち点3取るように!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 15, 2006

人の品性

人として究極の状態って色々あると思いますが、
そういう時にほど個々の人間が持つ「人間の品性」が浮き彫りにされるものです。

人は誰しも自らが基本であり、それを守ることは生物としての本能でしょう。
そして、親になった個体は子を守り、強いものは集団を守る。
自らを保持していくための本質であるのだと思います。

その本質・本能のままでいられないのが理性を持った人間。
そして時としてその理性が物事の本質を歪めてしまうことがある、と思います。

生きるということの意味を「考える力」を与えられた人間。
この能力を与えられた特別なものとして自らの立ち位置を設定するのなら、
人はもっと全てのものに対し謙虚であり、真摯であらねばならないと思うのです。

人としての美しい振る舞いと、醜い自己保身。
そんなものを見ると、自らを省みてそんなことを考えます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 01, 2006

役者魂

先日2日間で3本の舞台を見てきました。
その中の一つ「ベガーズ・オペラ」
予習復習をすることによって、
より楽しめるちょっと風変わりなミュージカルでした。

舞台のセットもとっても工夫が凝らされていて、
俳優さんたちが客席を自由に動き回るなんてこともあり。

まあ、それはともかく、
今回このミュージカルを見に行った目的の一つが内野聖陽さん。
彼の歌がどんなになってるのか聞きたかったのです。

TVドラマには時々出演されていましたが、
文学座所属のバリバリの舞台俳優さん。
それが2000年、
東宝ミュージカル「エリザベート」に出演されることを聞いた時の驚き。

「えっ?内野さん歌える俳優さんだったっけ??」
の疑問からスタート。
Wキャストの山口祐一郎さんがミュージカルスターだったので、
このキャスティングには本当に驚かされました。

エリザベートはミュージカルの中でも、
ほとんど歌で進行して行く、しかも歌の難易度の高いミュージカルです。
再演がある度に必ず一度はこの舞台を見に行くくらい大好きで、
当然2000年Wキャスト両方の舞台を見ました。

山口さん上手い!さすが!
内野さん…。私はいいけど多分「金返せ」なクレーム来てるよなぁ…
音程は不安定、声はひっくり返る。
申し訳ないけどその時点での歌唱力には1円も出せないレベルでした。

ただ、何と言うか「お芝居」だけに目を向けると、
何ともいえない雰囲気を漂わせ、だてに舞台やってる人じゃない
という表現力の豊かさは感じられ。
ありえない歌唱力(スミマセン)を補って余りある魅力があったのでした。

それにひかれて内野さんの舞台を何度か見るようになり、
ストレートプレーに関してはやっぱり文句なし。
でも、さすがにもうミュージカルをやらないだろうと思っていたら、
翌年再演が来ましたよ。

当時のインタビュー記事などを読むと、
内野さんには迷いなんてこれっぽっちもなくって、
役の解釈と役作りに嬉々とした様子がうかがえました。
そして、自分自身への大きな自信。

確かにミュージカルで歌がダメって致命的だけれど、
でもそれ自覚しながらも楽しんで演じている。
驚きでした。

で、再演では
「あれ?ちょっと歌上手くなってない?」
たった半年の間に努力したんだなぁと思ってました。

その後も他のミュージカルに積極的に出演されるようになっており、
2004年には再々演。
その舞台には本当にビックリしました。
声がひっくり返ることは…1,2回くらいある。
でも、歌が本当に格段に進歩している。聞ける。

ご本人はどれだけ練習を積んだんでしょう。
でも努力した様子は微塵も見せず、飄々としている。
この舞台で内野さんの役者魂を感じました。
芝居の方は更に磨きがかかり妖艶で素晴らしかった。

そしてベガーズ・オペラでは、島田歌穂 笹本玲奈 森公美子さんなど、
並み居る歌の達者な方々の中に入っても、
ちっとも見劣りしてませんでした。
もちろん歌の技術は差がありますけど、充分通用するよと。

ご本人が語っていたとおり、
女たらしのやけにエロさが漂うマクヒース役はとても魅力的でした。

内野さんの自己肯定型の役者感て凄いと思う。
ある意味冒険者なわけで。
でも、見ている人を満足させるだけの力を蓄えるプロ根性。
舞台俳優さんって本当に凄い!と感動して帰ってきました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 23, 2006

事の底流

耐震強度偽装問題でもライブドア問題でも、
それに伴って起きた東証の取引停止やシステム問題。
少し遡ってはJR西日本の列車衝突事故でも、
表面的に何の関係もないように思われるこの事象。
根っこの所では、共通したものが流れているような気がしてならない。

今巷をにぎわせているのは、ライブドア問題。
あちこちで色々なコメンテーターが発言し、新聞紙上には記事が連日踊る。
東京地検特捜部の捜査が入ったということは、
既に相当の証拠を固めているということなのだろう。
(※先ほど、堀江社長は証券取引法違反の疑いで逮捕された)

堀江社長の手腕に賞賛の意思を伝えていた海外のメディアは、
今では犯罪者扱いで報道し、その姿勢を180度転換してるところもある。
何ともはやいい加減なものだ。
表層の問題を捕まえると確かに強引で、
法スレスレなやり方(今は違法性の追求をしているが)のツケが回ってきたと
考えられなくもない。

でも今起こっている様々な問題は、今日昨日発生したものではないと思う。
戦後、日本人が等閑にしてきたもののつけ、
アメリカ至上主義の亡霊に取り付かれた思考形態。
その積み重ねが、今噴出しているだけだという気がする。

それに加えて、人は森羅万象全てのものを力で支配できる的な発想。
共存するのではなく、力でねじ伏せようとする傲慢さ。
分相応という言葉があるけど、それよりなお適切に表現するとなると、
人類は自ら制御不可能な領域まで、足を踏み入れてるんじゃないかと思っている。
経済、金融、医療、IT、その他の科学技術等々いっぱい。

東証のシステムダウンにしても、耐震偽装にしても、JR事故にしても、
いつも何かあったとき口をそろえて出てくるのが「想定外」という単語。
東京証券取引所に関しては、立会人という「人」が介在していたならば、
あれほど傷口は広がらなかったはず。

人の思惑の想定を越えて、肥大化しカオスとなって知らぬうちに増殖を続ける細胞分裂。
そこに人の意志と実体が伴わないことの恐ろしさを、ひしひし感る。
これは世の中が、全てにおいてバーチャル化してる証なのではないか。

驕ってはならない。
元々思い通りにならない事の方がほとんどだということを、
人はもう一度振り返って知るべきだ。

かつての日本の創業者たちは、本田宗一郎然り、盛田昭夫然り、東芝の田中久重然り。
ものづくりにひたすら拘った人たち。プロの職人気質を感じる。
そしてこれは、昔から日本が世界に誇れる最大の財産だったんだと思う。
次期経団連の会長となるキャノンの御手洗社長は、実に23年間アメリカでのビジネス界に身をおいていた。
だから付け焼刃ではなく、本当の実情を知っている。

すべての経営者に共通する使命は企業価値を高めることでありますが、そのための手法は、国や会社によって違うということです。経営を貫くものは合理主義ですが、何が合理的かは国によって異なると思います。会社はその国の社会の一部ですから、その社会にマッチした経営を選択しなければならないということです。

日本式終身雇用制度の何が悪いと言う。
人ともの。人が汗を流し、ものづくりをする。
この本質的なところを見失い、
日本人は米国流の経営手法(成果主義等)など表層的なものばかり導入している。
今まで作り上げてきた、日本独自の様式美を破壊するかのように。

アメリカにはアメリカのやり方がある。
そしてそれは、そこに生きる人たちの持ってうまれたメンタリティや風土に適ったものであるはずだ。
だから、それをそのまま違ったメンタリティを持ったものが形だけ取り入れても、
上手くいく道理がないのだと思う。

御手洗さんは、米国流の経営と日本の風土の融和を述べている。
そしてこれこそが、今日本が忘れ去り蓋をしてきている核の部分なんだと思う。

底の浅い机上の空論を振りかざすからこそ、「想定外」という言葉が頻繁に発せられる。

日本の美徳とも言える、汗を流してものを作るということ。
この本質的なところを怠立った結果が、
今起こってる問題の底流に流れている気がしてならない。
魂がこもってない形だけの構造物は、いとも簡単に崩れ去るものだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

January 10, 2006

美ら島 沖縄よ

年末に沖縄まで行ってきました。
何となく気持ちが疲れていたので、
暖かい所に行って癒されたいというのが一番の理由。

冬場は千歳から那覇まで直行があるので楽です。
約4時間弱、近場の海外に行くほどの距離を一っ飛び。
雪の北海道からまるで春のような沖縄。
日本て本当に縦に長いことを実感。
(実は東西にも長いのだけど)

今年は沖縄もやはり厳冬らしく、
海の魚があまりの寒さに仮死状態になって浮かんでいたこともあったそう。
それを拾ってきてから揚げにして食べるのも美味しいとのこと。
北海道から行けばやはり暖かく感じるのですが、
沖縄に住む人たちにとっては信じられない寒さなのでしょう。


ところで沖縄に行ったときに欠かせないのが「ひめゆりの塔」。
今回も短い時間ではありましたが行ってきました。
今まで入った事のない「ひめゆり平和記念資料館」へと入館。
唯一の地上戦が行われた沖縄。
そこでは軍人よりもっとたくさんの一般人の命が失われました。

たくさんの展示物。
防空壕での悲惨な様子。
目の前で爆撃を受けてあっという間に命を奪われた友人。
自分の腕の中で次第に冷たくなっていく人たち。
重傷を負ってるにもかかわらず、出産を介助して亡くなった助産婦さん。
亡くなった人たちの顔写真がたくさん張られています。

平和の礎にも行ってきました。
波のように立ち並ぶ刻銘碑たち。
たくさんの沖縄の人たちの碑とまた別に、幾重にも並ぶ各都道府県毎の刻銘碑。
北海道の人たちの名前も刻まれていました。
北からはるばるこの南の地に来て、一体何を思っていたのだろう。

また、外国人の碑もたくさんありました。
母国語で刻まれた碑。
アメリカ人の名前が一番多いのですが、
でも強制連行されたアジアの人たちの犠牲が本当は多かったとも聞きました。

ある意味、日本の捨石にされた沖縄。
こんな小さな島なんて、あっという間に攻略できると高をくくっていた米軍。
日本の防波堤にされたという意味では被害者なのかもしれないけど、
でも、強制連行されたアジアの人たちに対する差別もあった、
だから自分たちは一方的な被害者ではないと静かに語った沖縄に住む人。

そして目の前に広がる海。
その海に向かって、行き場を失った人たちがたくさん飛び込み命を絶ちました。


ひめゆり資料館での心の底からの悲痛な叫びを感じ…。
職業軍人よりたくさんの民間人が亡くなっていった沖縄戦。
この愚行が今まさに他の国で起きている。
中東で起きている紛争は、その構造自体ちっとも変わっていません。

同じ過ちを何度も繰り返す人間たち。
この地球上に生きる生き物の中で、何も人間だけが特別じゃない。
争いは、どの生命体でも起こる生きるための性なのかもしれない。

でも、一人一人が抱えた苦しみの意味を知っている人間が犯す争いは、
きっと一番性質が悪いものなのだろうと思います。

この先も、この世の中から争いがなくなることはないでしょう。
でも、考えるという特殊な能力を与えられた人間は、
生きることについて思考し、問い詰める責任を負って産まれているのだと思います。


沖縄は、癒しの土地であると同時に、
私にとっては命について深く考えさせられる場所でもあります。
また行く機会が与えられたなら、同じ場所にまた足を運ぶでしょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 12, 2005

今日の独り言

ここもすっかり廃屋のようになってしまいました。
更新をサボってる間にあっという間に経つ月日…

オフィシャルブログができたので、ついそこにも開設してしまい。
正直、どうやって使い分けたらいいか分かんなくなっております。

ここはホント日々の雑記帳にでもしようかしら。

で、とりあえず明日は福岡遠征ですよっと。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«信念